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雑感:信用創造の今昔

新型コロナウイルス感染症の第6波を迎え、入試を控えた受験生は不安な日々を過ごしていると思われる。そんな中、今年の大学入学共通テスト「現代社会」のある問題(※1)について、知人の経済学者が「等比級数の問題としてはよいけど、経済では害悪でしかない問題」とつぶやいていたのが目に留まった。

この問題では、高校生のホシノさんが大学の授業を受講するプログラムに参加して学んだ信用創造がとりあげられている。企業DがA銀行に預けた預金の一部(預金準備率を満たす必要最低限の金額)は中央銀行に預けられるが、残りは他の企業Eに貸し出され、融資を受けたE社がそのお金を別のB銀行に預けると、先ほどと同様に一部は中央銀行準備となるが残りは他の企業F社に貸し出され・・・という形で、最初にD社がA銀行に預けた預金額以上に社会全体の預金額が増えていく過程が描かれている。また、最初に預けられた預金と最終的な社会全体の預金の比率は貨幣乗数と呼ばれる。これは古典的・標準的な信用創造の説明であり、たとえば私が30年以上前に大学で使っていた教科書でも同様の説明がなされていた。ここでの銀行は、預金者が預けたお金を貸出に回すだけの存在である。

しかし、私が理解している銀行の信用創造のメカニズムは、上記とは異なる。私は授業で故池尾和人教授の『現代の金融入門』に即して教えているが、同書は信用創造を以下のように説明している。「信用創造機能とは、貯蓄の形成を先取りするかたちで、先行して資金の貸付を行う働きのことである。・・(中略)・・銀行からみれば、貸出とは、直ちには貸出額に相当する数字を預金口座に記入することに過ぎない。したがって、この限りでは紙とインクさえあれば、銀行は、いくらでも貸出を実行できることになる。これは、銀行とそれ以外の主体との決定的な相違点である」。この説明に「まず信用ありき」というサブタイトルが付されていることからも分かるように、ここでの銀行は、貸出を行った結果として預金を創出する存在である。

興味深いことに、今年の大学入学共通テスト「政治経済」の別の問題(※2)では、先の「現代社会」の問題とは異なり、銀行の貸出業務を以下のように説明している。「市中銀行は「新規の預金」を創り出すことによって個人や一般企業に貸し出すので、銀行貸出は市中銀行の資産と負債を増加させる」。これは、池尾教授の信用創造の説明と基本的には同じである。しかし高校生からみれば、別科目の問題とはいえ、どちらの説明が正しいのか混乱するのではないか。

信用創造の教え方をめぐる混乱は海外でもみられる。たとえば、近年発表されたBOEFRB経済学教育に関する学術誌に掲載された論文は、古典的な貨幣乗数論が今でも多くの高校生・大学生向けの教科書に載っていると指摘したうえで、貨幣乗数が「誤解を招きかねない概念(misconception)」であり、教科書を書き直すか、あるいは貨幣乗数を教えないことを提案している。

私にとって悩ましいのは、貨幣乗数論が、1990年代後半以降の日本の非伝統的な金融政策をめぐる議論において折に触れて登場することである。このため教えない訳にもいかず、いまだに試行錯誤している。また、20年以上も続いている政策をいつまで「非伝統的」と呼んでよいのかも悩ましい。先のFRB論文は、短期市場金利を操作目標とする伝統的な金融政策の説明も、もはや時代遅れだと述べている。

金融論の泰斗である故James Tobin教授は1963年の論文で「入門経済学を教える教師にとって最大の勝利感を味わえるのは、銀行信用と銀行預金の乗数的創造を説明するときではないか」と述べていた。しかし現代の教師にとって、信用創造は、経済学教育の難しさをもっとも実感するものではないだろうか。

注釈

  • ※1「現代社会」第3問の問3
  • ※2「政治経済」第2問の問5

Last update: 2022.02.08

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